学習会 レポート  (H26年度)


  月に2回実施している学習会からの情報発信レポートを連載します。


2014.5.8 2014.5.22  学習会は今…。 今月の担当 石田豊(会員)

森林観察学習部会「今年の里山学習会」 5月まとめ

昨年までの学習会では、八ヶ岳南西麓に住む生活者の視点から(素人なりに)里山を自然科学的な側面から、学習してまいりました。 森林の植物・樹木の成長、樹木の成長と木材・間伐材の利用、森林と動物・昆虫など生物多様性、森林と流域の水、自然保護と獣害、森林の二酸化炭素吸収力について、などなど、及びグリーンセイバーの考え方など。 なかなか専門的なところもあり、一般的な生活者が理解するには難しいところもあったのですが 会の参加者の相互助け合いで、学習してきました。

今年2014年の学習会では、 これまでのように、一般論的な里山論も学習しながら、 私たちの住んでいる諏訪エリアから八ヶ岳南西麓エリアの里山がどのように作られてきたか?! このエリアの里山の特徴は、どんなところか?!にも、注目してみよう。 という新しい興味を持って学習していくことにしました。

折しも、尖り石遺跡の仮面の女神が、縄文のビーナスに続いて国宝指定を受けようというニュースもあり、このエリアは、縄文の昔から豊かな自然と生活者のかかわりがあったことが伺われ、参加者の興味も高まっています。

テキストは、
「諏訪・人と風土」 信濃毎日新聞社編
「財産区のガバナンス」 古谷健司 日本林業調査会(J-FIC)刊
「山浦のかたりべ」 の3冊を予定しています。

現在、今年の学習会の参加者は、12名ですが、 古くからの住民の方も、ごく最近引っ越してきた移住者も、いろいろな立場の方がいて、また、もともと諏訪・八ヶ岳の地域文化に興味の深い方も、そうでない方もいて、一人一人のモチベーションで、「諏訪・人と風土」の読み合わせが始まったところです。
「諏訪について、知らないことがいろいろ学べそう。(笑)」というのが、参加者の声ですね。

来月の学習項目

     
○6月12日
(3)贄の思想 担当中野
(4)人身御供思想
(5)御柱の精神T 担当南波
(6)御柱の精神U
○6月26日
(7)神の宿る木 担当下田
(8)長崎のお諏訪様
第3章ものづくりと風土
(1)時代を切り開く企業家精神
担当井村e
(2)世界に誇るブランド再び
 


2014.6.12 2014.6.26  学習会は今…。 今月の担当 南波一郎(会員)

御柱祭りに関して

今年度はまず信濃毎日新聞社編“諏訪・人と風土”を学習していますが、担当の御柱祭について新たに知ったこと、成程と感じたこと、を列挙してみます。上記テキスト及び他の参考文献は10年以上古いので現状は変化しているかも知れませんが。

@“祭りとは神への奉仕”との本質を御柱祭ほど鮮明に演出している祭りはめったにない。
 衣装にしても着飾った祭りではない。諏訪中の人が参加する神への奉仕で徹底している。
奉仕をヨコ軸とすれば生命回生のタテ軸がある。仮見立、伐採、曳行、建立と生命回生の儀式である。すべてが機械力なしに 平安時代前から進められている稀有な祭りである。

A諏訪人の御柱祭に注ぐ心意気は並大抵ではない。田畑を売って資金にする、祭りの年は祝い事はしない、怪我人がでても祭りは続行する、戦争中は子供で曳行、戦後の最初の祭りでは心意気を示すため過去最大重量の巨木を曳行、等 枚挙に暇がない。

B木やりこそ重要文化財にすべきだ。山野に澄みわたる“諏訪木やり”は伊勢神宮の木やりと比較も出来ない。曳き子は次々と歌われる木やりから本物を聞き分けその時初めて力が集結し巨木が動き出す。木やりをめぐる曳き子と歌い手の呼吸が御柱曳行の醍醐味だ。諏訪人は自己主張が強い。激しい対立もある。だが最終的には団結する。木やり一声に心を合わせる。そこに諏訪人の真の姿がある。

C上社、下社の最大の違いは上社には“めどでこ”がある事だ。下社は伐採が祭りの1年前だが上社は当年であり、且つ皮を剥がないので未乾燥で重い。加えて昔は曳行路が火山灰でぬかるむ。“めどでこ”を左右に振り曳行を助ける。下社は道幅が狭く  “めどでこ”があったら谷底に落ち込む危険もある。

D用材は下社では東俣国有林(八島湿原の西)からであり100年は確保されている。
一方、上社は営々と神之原の人々により守られて来た御柱山が伊勢湾台風で壊滅し、前回は立科町から、次回は辰野町からと用材確保が深刻な問題である。

来月の学習項目

     
○7月3日
(3)製糸からの出発 担当吉江
(4)ものづくりの風景中国から1
(5)ものづくりの風景中国から2 担当本村
(6)ものづくりの風景中国から3
(7)ものづくりの風景中国から4
○7月17日
(8)五感で体得 技能こそすべて 担当井村j
(9)企業の壁を越えて共同開発
(10)目指すは競い栄える工房 担当石田
(11)「小」と「省」の技
 


2014.7.3 2014.7.17  学習会は今…。 今月の担当 吉江利彦(会員)

V章 ものづくりと風土

明治時代、諏訪のものづくりの気質と風土が製糸業において、当時、世界の最先端技術である諏訪式繰糸器械を発明。日本が生糸の生産・輸出世界一の原動力になった。その後、諏訪は製糸業から精密機械産業、電気・電子関連産業へと転換し発展してきた。1950年代〜1960年代にかけて「東洋のスイス」として名を馳せた。
しかし、1985年のプラザ合意による円高以降、諏訪地域の企業も海外へと生産拠点を移し空洞化が進んでいる。ものづくりの気質と風土で築き発展してきた原点を見直す時期に来ているという。諏訪地域、頑張れ!

担当した V章―Bの「製糸からの出発」を学習した中で、シルクロードと呼ばれ世界を駆け巡った絹糸を作るカイコ(蚕)は野生では生きられない家畜化された昆虫と知りびっくりしました。ので、ウィキペディアの記事をちょこっと記します。

「カイコは家蚕(かさん)とも呼ばれ、家畜化された昆虫で、野生には生息しない。またカイコは、野生回帰能力を完全に失った唯一の家畜化動物として知られ、餌がなくなっても逃げ出さないなど、人間による管理なしでは生育することができない。 カイコを野外の桑にとまらせても、ほぼ一昼夜のうちに捕食されるか、地面に落ち、全滅してしまう。幼虫は腹脚の把握力が弱いため樹木に自力で付着し続けることができず、風が吹いたりすると容易に落下してしまう。成虫も翅はあるが、体が大きいことや飛翔に必要な筋肉が退化しているなどにより、飛ぶことはできない。」
「カイコの祖先は東アジアに生息するクワコであり、中国大陸で家畜化されたというのが有力である。カイコとクワコは近縁だが別種とされる。これらの交雑種は生殖能力を持ち、飼育環境下で生存・繁殖できることが知られているが、野生状態での交雑種が見つかった記録はない。 一方でクワコはカイコとは習性がかなり異なり、活発に行動し、群生する事が無い。これを飼育して絹糸を取る事は、現代の技術であっても不可能に近い。むしろ科レベルにおいてカイコとは異なる昆虫であるヤママユのほうが、絹糸を取るのに利用されるほどである。5000年以上前の人間が、どのようにしてクワコを飼いならして、カイコを誕生させたかは、現在に至るも不明である。 そのため、カイコの祖先は、クワコとは近縁だが別種の、現代人にとって未知の昆虫ではないかという説もある。」

なんだか、昆虫がスゴイのか、人間がスゴイのか?チョッピリかわいそうな気もするが、夏の自由研究として楽しめました。

来月の学習項目

     
○8月7日
第4章 伝統と風土
(1)蘇る縄文 担当野崎
(2)野に生きる考古学者
(3)民間学の風土 担当本村
(4)育英の源流
○8月21日
(5)子弟の源流 担当中野
(6)初代民選知事の原点
第5章 自然と風土
(1)花とであう楽しみ 担当南波
(2)八ヶ岳の山小屋は新段階
(3)森づくりに参加する市民
 


2014.8.7 2014.8.21  学習会は今…。 今月の担当 野崎順子(一般)

「諏訪 人と風土」

4月に開始した「諏訪 人と風土」の本に沿った学習会も、気質、信仰、ものづくりと視点を変えながら回数を重ね、今月からはW章の「伝統と風土」、そしてX章の「自然と風土」に入った。
W章では、「野に生きる」や「民の学徒」で表現される在野の傑物たちを紹介し、先の学習会のテーマにもなった“わが道を行く”諏訪人気質がその底流にあるような内容となっている。 「在野」とは公職に就かずに民間で活動する人物。経済的な理由で学校へ行けなかったり、興味を抱く時期が遅くとも、情熱を注いでひとつの道を究めた人達である。
縄文農耕論の藤森栄一、遺跡発掘の宮坂英弌、諏訪信仰の伊藤冨雄、初の民選知事である林虎雄、藤森栄一や新田次郎を教え子とした三沢勝衛、そしてその人たちを師として次世代が育ち、地域全体で彼らを支えていく絆の深さも奨学金制度や研究会の例で紹介されていた。たとえ官にならずとも純粋に何かを極めていくという風土も、また諏訪の郷土が生んだひとつの特徴のようである。
X章は、主に八ヶ岳の自然がテーマである。バイオ技術を尽くした山小屋のトイレの現状と課題、また森林文化の会の2003年頃の活動も紹介されている。

この地へ越してきてから、私も随分と公民館主催の地域を学ぶ講座や博物館で開催する「まちあるき」などに参加をしてきた。公民館などがこれほど多彩な地域学習の機会を企画するのは、ここへ来て初めて知った。参加すると、定員はあるが、だいたい常に60名を超える人たちが参加し、メモを取り、次々と質問をする。参加者の熱意は並々ならない。少し前にはご当地検定なども流行ったが、これは全国的な傾向なのか、自分が知らなかっただけなのか、とりわけ諏訪の人たちは自分たちの地域や風土、歴史に格別の思いと興味を持つ学び好きな人達であると思う。ある意味ではこれも在野の片りんかもしれない。

諏訪で生まれた人もそうでない人も、この地方のあれこれを知る程に、内容によっては掘り下げて探究したくなる気持ちが芽生えてくる機会が多くあるのが、この地の持つ魅力のひとつなのだろうか・・・などと思いながら、今月も学習会に足を運んでいる。

来月の学習項目

     
○9月4日
(4)ワカサギ漁の今昔 担当下田
(5)ウチワヤンマの姿いつまでも
(6)豊穣の海、復活への情念 担当井村e
(7)海と山のあいだ
○9月18日は休みとし、下記見学会とする。

日  時:9月17日(水)8時30分〜12時
集合場所:諏訪大社前宮駐車場
解説案内:八ヶ岳総合博物館の学芸員 柳川英司氏
内  容:諏訪大社前宮、神長官資料館、諏訪大社上社周辺の
     史跡を案内解説

10月以降の学習会6回は、「財産区のガバナンス」をテキストとし、筆者である古谷健司氏に解説をして頂くことになりました。


2014.9.4 2014.9.17  学習会は今…。 今月の担当 下田英雄(会員)

「諏訪 人と風土」

5月から始めた「諏訪 人と風土」をテキストにしての“諏訪地域への理解を深める”学習会も、9月で予定通り終えることができた。
その最終X章「自然と風土」の内容紹介の前に、W章でも取り上げられていた、諏訪にとって忘れてはならない人物・三澤勝衛について、 もう少し紹介しておきたい。三澤は、1920(大正9)年から1937(昭和12)年に没するまで諏訪中学校(現諏訪清陵高校)の地歴の教師として 「自分の目で見て、自分の頭で考える」教育実践を通して、新田次郎や藤森栄一等の教え子に多大な影響を及ぼしたばかりでなく、膨大な著作を残し、 その独自の「風土論」は、全国的にも注目を集めたものであった。その著作集第3巻は、「風土産業」のタイトルがつけられているが、 ここで三澤が提唱していることは決して古くはなく、むしろ今改めて傾聴すべきことと思われるので、要点を紹介しておきたい。
●風土は無価格ながら偉大な価値を持っており、それを発見して活かすことで、地域に根ざした農業や産業さらに商業や観光も発展させることができる。
●自然的な特徴と郷土人の歴史的な努力が総合化され、さらに有機的に連関する「統一体」としての風土=地域が形成されていくことこそが、 求められている地域振興の道であり、個性的で魅力ある地域づくりである。
●「風土産業」は、資源・エネルギー浪費型の現代社会を乗り越えていくための産業のありかたの提案でもある。
ここには、今まさに共感を持って迎えられつつある「里山資本主義」につながるものがあると言っても良いのではないだろうか。

さて、テキストの最後は諏訪湖にまつわる話。縄文の昔より人々の生活を潤し、大正期には霞ヶ浦よりワカサギも導入され、魚影に富み、 トンボも群れとんだ豊饒の海も、戦後から高度経済成長期にかけて急速に汚染が進み、アオコに覆われる事態となった。 この原因が「集水域」から流入する工場排水、生活雑排水、農地への施肥等にあることがわかって、浄化への取り組みが始まり、 徐々に水質は改善されてきている。しかし、諏訪が生んだ歌人・島木赤彦の目に映り、歌に残した清涼の諏訪湖を取り戻すには、 地域住民自身による尚一層の努力が求められていることも忘れてはならない。
また、この学習会の締めくくりとして、9月17日には八ヶ岳総合博物館学芸員の柳川英司氏の案内で、 神長官守矢史料館を中心に諏訪大社前宮から本宮にかけての史跡巡りを行い、諏訪の歴史と風土を実感しながら学び直すこともできた。

古来より、八ヶ岳と諏訪湖、この山と湖の間で独自の生活、文化、産業と人を育んできた風土を今一度見直し、 これを現在から未来に向かってさらにどう活かしていくべきか、多くのヒントを得ることができた学習会であった。

9月17日 諏訪大社 上社周辺史跡 見学会

森林観察学習部会 井村淳一

26年度の森林観察学習部会 事業の学習会 前半編「諏訪の人と風土」の最終学習会として、 八ケ岳総合博物館の柳川学芸員を講師にお招きし「諏訪大社周辺の史蹟巡り」を行いました。(参加者は学習会参加者を含め総勢11名)
諏訪大社前宮周辺史跡、高部区史跡、神宮寺区史跡等を半日かけて巡り、実に多くの由緒のある史跡があることを知りました。 史跡を巡ると神様と仏様の史跡が混然一体としていて混乱状態になりますが、この地区が縄文の昔から大社の創設時代を通して人々が集い、 神前、門前の賑わいが現代にいたるまで続いてきたことが判るし、信濃の国内外の歴史を作ってきた武将達へも強い影響を与えてきたことを改めて知りました。

この地に居を構えて10年経ち、諏訪の御柱、諏訪大社についてもう少し良く知りたいと思っていたことが、ちょっぴり晴れたような気になりました。 諏訪博物館や神長官守矢資料館等が主催する、これらの史跡巡のイベントに是非参加してみることをお勧めします。

前宮

来月の学習項目

     
○10月2日

「財産区のガバナンス」をテキストとした学習
1回目は講師古谷健司氏による解説
以降5回の担当決め

○10月16日

未定


2014.10.2 2014.10.16  「財産区のガバナンス」 10月学習会 今月の担当 井村淳一(会員)

26年度 学習会の後半は「財産区」についてその概要をきちんと理解しておきたいと思い、 「財産区のガバナンス」(日本林業調査会)をテキストに取り上げた。
この本の著者である古谷 健司さんが、茅野市にお住まいになっておられるので、私達の学習会で 「財産区」についてお話いただけないか不躾にお願いしたところ、御快諾をいただき、 10月2日から学習会を始めた。

集落単位で先祖代々から生活の基盤として共同利用・維持・管理されてきた入会財産はその地区で 暮らしてきた人々にとっては、掛け替えのないものであったことは容易に理解ができるところであるが、 これがために戦後の激動の高度経済成長の時代を経て、少子高齢化が益々進む今の時代において、 先代が残してくれた財産をどう後世に引き継いでゆくのか?それぞれの財産区の悩みは深いと思われる。 すでに入会財産の維持管理そのものが困難になりつつある財産区もでてきているようだ。

今回学習した白井出地区の事例では中山間地であるにも関わらず、人口の大幅な増減もなく、 高齢者、若年者とのバランスも比較的良く保たれている。これは自然環境の良さを好感に移住者が 入っていることが理由のようだ。しかしこの地区には今や経済的基盤がなく、 年金生活者のお年寄りと近隣地区民間の企業への勤労者の暮らすベッドタウン化が進み、 「耕作放棄地の増大」「空き家の増大」「森林の荒廃」は確実に進んでいる。この現状からどう脱却し 活力ある地域を作っていけるか? 茅野市は現在48の財産区を持ち全国的にも特異な市であろう。 市政の統治と財産区の自治をどう融合させてゆくのか? このままで良い筈はない。 行政の強力なリーダシップと里山資本主義を彷彿とする大胆な発想の転換が求められている。

来月の学習項目

     
○11月6日
第3章 財産区制度の特殊性に関する一考察  担当野崎
 第1節 はじめに
 第2節 調査地の概要
 第3節 茅野市域における入会山の変貌と町村とのかかわり
 第4節 財産区の持つ「公」と「共」の2つの側面 担当石田
 第5節 考察
○11月20日
第4章 財産区の観光的利用に関する一考察 担当井村e
 第1節 はじめに
 第2節 調査地の概要
 第3節 入会山と観光開発
 第4節 蓼科高原における入会山の現状 担当中野
 第5節 茅野市財産区がかかわる観光的土地利用
 第6節 考察
第5章 外来型開発地域における社会的・経済的開発効果の検証 担当吉江
 第1節 はじめに
 第2節 調査地の概況
 第3節 蓼科高原における別荘地開発の展開 担当南波
 第4節 三井の森別荘地開発の特徴
 第5節 考察


2014.11.6 2014.11.20  「財産区のガバナンス」 11月学習会 今月の担当 井村悦子(会員)

今月から、「財産区の観光的利用に関する一考察 ―長野県茅野市を事例として―」に入った。
長野県の入会林野の多くは、明治9年以降、入会林野解体政策により広域の入会権が消滅し、入会林野の利用も第二次世界大戦後の草肥の比重の低下、燃料革命、 高度経済成長以来の農村の人口流出などに伴って著しく粗放になっていった。しかし、茅野市の場合は、財産区などの所有として存続してきた。なぜ、茅野市は 財産区として残ったかの理由はまだ見えてこない。これからの学習を待ちたい。

一方、高度経済成長政策は日本社会に工業化、都市化という構造変化をもたらし、森林においては林野の利用形態を多様化させていった。その利用形態の1つが 観光的利用だった。
茅野市の場合、地理、気候の優位性もあり、別荘地・ゴルフ場・スキー場の適地として観光開発と結びついて行く。東京から軽井沢・蓼科・霧ケ峰・美ヶ原・ 松本・上高地・高山・名古屋ルートなどを幹線観光ルートとする広域観光開発の具体的計画が構想され、ビーナスラインは、この中に明確に示され開発が進め られた。この建設により、蓼科高原、白樺湖及びその周辺、車山高原など茅野市の高原観光地は宿泊施設・レジャー施設が一体となった保養地リゾート地域へ 発展していくことになる。

蓼科高原別荘地を構成する、3入会山(御鹿山、湯川山、芹ヶ沢山)の変遷について学んだ。いずれの山も江戸時代から入会山として山論(山林,原野などの 帰属、利用権をめぐる争論)を繰り返し、代々、命を懸けて守ってきたものであり、御鹿山は1987(昭和62)年 、湯川山は1955(昭和30)年、 芹ヶ沢山は1987(昭和62)年に地方自治法に基づく財産区に移行している。
電気、ガス、化学肥料がない時代、畑の肥料となる枝葉、草、薪が採取できる山というのはいかに大事な資源であったか、それを守るためにどのような苦労を してきたかの一部を知ることができた。

利用価値が低下していた財産区有林とリゾート開発ブームが結びつき、これらの山を舞台に、1960(昭和年35)頃から、東洋観光事業(株)、 (株)東急不動産、(株)三井の森などにより、大規模な高原リゾートとしての開発が始まり、現在我々の知る蓼科高原となった経緯を追った。 私は、このブームで開発された別荘地に移住してきて10年になるが、初めてここに至る経緯を知ることができた。

来月の学習項目

     
○12月4日
第6章 白樺湖周辺における観光開発の展開構造  担当下田
○12月18日
第5章 外来型開発地域における社会的・経済的開発効果の検証
 第3節 蓼科高原における別荘地開発の展開 担当南波
 第4節 三井の森別荘地開発の特徴
 第5節 考察
第7章 国有林と財産区有林の併存する地域の森林と人間の関係
    に関する一考察
担当本村
第8章 課題と提言 講師古谷先生


2014.12.8 2014.12.18  「財産区のガバナンス」 12月学習会 今月の担当 本村光子(会員)

 10月から始めた「財産区のガバナンス」の最終回の日は大雪で除雪が遅れ、残念ながら著者の古谷健司氏のまとめを 聴くことはできなかったが、担当した第7章「国有林と財産区有林の併存する地域の森林と人間の関係に関する一考察」は金沢財産区の分析で興味深かった。
 茅野市の48の財産区のうち、北山に存在する財産区の多くが面積も広く、土地を別荘地に貸し付けることにより比較的多額な収入を得ているのに対し、 金沢財産区は林業をベースとして現在まで存在してきた、茅野市内では特異な特徴を持つ財産区だ。
 江戸時代に入会地だった土地が明治以降、金沢村の村有地、そして戦後の町村合併で金沢財産区の林野となったのにいつも併存して、公有林野があった。 江戸自体には御林(高島藩の林野)、明治以降は官有林、戦後は金沢国有林となったのがそれである。金沢区の住人はいつもこの両方の林野に関わってきている。 今回、この金沢区の国有林との関わりのなかで「共有林」の存在を初めて知ることができて興味深かった。共有林制度は地元住民が慣例により国有林から林産物を採取したり、 そこから産出する木材に対し優先的に特売を受けたりする制度だ。国有林といえども長年その地域の住民と深く結びついている慣例を排他的に無視することができないことから 生まれた制度といえよう。つまりは明治維新の時、無理やりに多くの林野を官有にしてしまったことの帳尻を合わせているのではないだろうか。
 しかし、現在では金沢財産区の森林経営からも共有林制度からも林野を維持管理するだけの収益を得られず、森林の維持管理は財産区にとって大きな負担になってきている。
 茅野市は林野の面積が非常に多くを占めているが、そのうち財産区有が占める割合も大きい。大手の別荘地に土地を貸して収益をあげている財産区にしても財産区有のすべての 林野を貸しているわけではなく、財産区民が維持・管理する林野がある。確かに十分は収益があれば業者に外注して林野の管理をすることもできるが、実際には収益をあげている 財産区でも議員たちが現場での作業や管理などを行っているのが目につく。都会から来た人間には、都市なら本来は市などが管理すべきものを、茅野では公共団体である財産区が、 土地に対する愛着や慣例によって管理しているように見える。林野を維持・管理するにはその林野に対する愛着が大切なのはいうまでもないが、財産区の財政事情によりそれぞれ 対価が払われる場合が多いとはいえ、基本的には財産区民の善意の管理に頼っているように思えてならない。そして、それが財産区民にとって金銭的な負担だけではなく、 休日に出払いに駆り出されるなどの負担にもなっているのではないだろうか。
 今後、茅野市の林野を守っていくうえで、市民の森のように、もっと財産区以外の手も活用して管理していく方法をとるべきではないだろうか、また市民が参加し易い制度なども 必要ではないかと考えてしまう。

来月の学習項目

     

1月から「山浦の語りべ」を教材として、下記2回を予定しています。
初回の担当は、井村、下田、石田が担当し、2回目以降の進め方、分担については、初回にお知らせします。
○1月15日
○1月29日 

 


2015.1.15 2015.1.29  1月15日は雪のため道路状況が悪いので中止にしました。

1月29日は 山浦の語りべ 第一集を担当 井村、石田で行いました。
学習会コラムは、今月は、お休みです。

来月の学習項目

     

○2月5日 山浦の語りべ 第2集 担当下田、吉江
○2月19日 山浦の語りべ 第3集 担当 未定

 


2015.2.5 2015.2.19 2015.2.26  「山浦の語りべ」 2月学習会 今月の担当 石田豊(会員)

『山浦の語りべ』を読んで感じること。

本(テキスト)の成立の経緯から、信濃・諏訪地域の「遠野物語」のような内容か?!と想像していたのだが、 遠い時代(江戸や明治期)の民話というよりも、戦前、戦中、戦後期の、諏訪・八ヶ岳エリアの生活者の暮らしぶりに関する話題が語られている。

聞き取りが平成10年代で、対象が70歳前後の古老なので、生年で見ると大正初期から、昭和初期の方が多い。そのため、子供の頃に先代から聞かされた昔話も 語られることもあるのだが、自らが生きぬいた激動の昭和史と、自分が育まれた「諏訪・八ヶ岳」エリアの風土での生活実感が、語り手としても、ビビッドな印象を もって語られているからだろう。

本の編集としては、茅野市内、原、富士見の各地区で、1人、夫婦、友人、〜4・5人のグループを語り手としインタビューをまとめている。
テーマとしては、各地区の地名の由来。地域(村)ができた経緯。地区の言い伝え。前近代農業期の、昔の村の暮らし、農地・田畑、里山の役割と草刈り場の役割。 薪炭と入会山。昔の暮らしの中における家畜の位置。鶏を飼い卵をとる。鶏とウサギを飼い、イベントではつぶして食べるが、自分の家で飼っていたのは家族だから食べない、 上下左右の家の家畜とバーターにする。馬は賢いし早いが、牛は従順だけど仕事が遅い。とか。
語り手の小学校時代の思い出、藤森省吾、島木赤彦など先生の思い出。昔の学校行事など。

また、エリアの農業の進展、新田開発と堰、高原野菜、セロリの導入期の苦労話。養蚕の発展・衰退。
そして、興味を魅かれるのは、このエリアの寒冷高地という地域特性・風土に合った、特産品・寒天・氷餅などの産業の推移の話し。 及び、寒冷高地からの出稼ぎ先として、海なし県の長野から、官営検査員が何人も存在するという海苔産業への進出など、‥‥‥。
いろいろそれぞれの現場では、大変な苦労があったのだろう。と考えさせられると同時に、ここを「背水の陣」と決めた時の、人間の生きるバイタリティは、なかなか感動する物だな。 という感想です。

新年度の学習会の予定 3月中は、『山浦の語りべ』を継続していきます。
4月からは、昨年エコロジー関連の書籍としてはかなり話題になった『里山資本主義』藻谷浩介著を取り上げてともに学習していきたいと思います。

これまで学習会に参加されておられなかった八森の会員の方の中にも、「現代社会」「経済動向」「日本の進む道」「エコロジー」「原発の核のゴミ」「原発再稼働」 「エネルギー政策」「再生可能エネルギー」などなど、個人の生活の中では特にどうすることもできないことかも知れないけれども、胸の内が晴れない問題意識を感じておられる方は、 多くいらっしゃるのではないでしょうか。

新しい問題意識をお持ちの会員の参加をお待ちします。

来月の学習項目

     

○3月5日
  第7集 2〜5章(井村j)、6〜9章(石田)、第8集 2〜5章(下田)
○3月19日
  第8集 6〜10章(吉江)、第6集 2〜4章(南波)、5〜7章(中野)

 


2015.3.5 2015.3.19   

地域文化学習会の今年度の纏め  井村淳一(会員)

地域文化学習会として「諏訪の人と風土」「財産区のガバナンス」をテキストにした学習会では、この地が縄文時代から続く自然への畏敬の念を背負い暮らしてきた文化歴史も見えてきて、充実した学習会ができたように思います。今後この地域での当会の活動の理念に活かされてゆくものと思われます。

  1. 「諏訪の人と風土」では、諏訪湖湖岸地域と山浦地域の風土差や、諏訪大社の上社を中心とした信仰風土と下社を中心とした信仰風土の差等、更には、産業の進展による地域差等の理解が進んだと思います。

  2. 「財産区のガバナンス」では、財産区形成の背景、財産区の役割、経営の実態等を学びながら、現状の財産区が抱える問題や、今後の展望等について、漠然ながら概要が掴めたと思う。

  3. 「山浦のかたりべ」では、山浦の各地で暮らしてきた地域の古老達が、それぞれの地域での史跡の背景や生活文化が活き活きと語られていて、この地域文化を形成している背景が見えてきたと思います。


学習会に参加された方々には、それぞれ輪講の講師をお願いしご苦労いただきましたことに感謝いたします。また、講師としてご協力いただきました、八ケ岳総合博物館学芸員の柳川 先生 及び、「財産区のガバナンス」で講師としてご指導いただきました古谷 健司先生に心より御礼申し上げます。

来年度の学習会の募集要項は こちらをご覧ください。

2014.6.2